新社会人の真・ルーティン その3(休日編)

 ブログを更新すると約50名ほどの人がこのブログを見てくれている。ただ多くの人は多分最後まで読んでないと思う。1000字以上もある僕のブログの記事を読むというのは通常苦痛だからだ。

 ネットが手軽にどこでも使えるようにここ10年ほどでなった。だから現代人はおそらく1日に1000字以上の文字を読む。だが、その文字列は、①興味をそそるものなのか、②文章自体が面白いかどうか、この二点のいずれかを満たしているはずなのだ。さもなければ、ただただ長い文章というのは"苦痛を与えるもの"として分類され、あえて自分から読むものでは無くなる。僕のブログはおそらく多くの人にとってどちらも満たしていない。

 だが、これは決して嘆かわしいことではない。僕は竜頭蛇尾的なところがある。最初はしっかりとした文章を書こうと気合いを入れて書くが後半は力尽きて割と支離滅裂な文章になっていることが多い。起承転結は力尽きたその時点で崩壊する。だが、この崩壊も冒頭しか読まないであろう読者との相性は皮肉にも良い。マイナスとマイナスを掛けるとプラスになるように。

 とこう書いておいて、本当にどうでもいいメタブログ的なことを冒頭に書いてしまうのはいかがなものか。本題に誰もたどり着かなくなる。本題を書こうと思う。

 

 平日は休日のことばかり考える。だから休日が遠い月曜日は辛いし、休日が近い金曜日は幸せな気持ちになれる。だが、僕の休日に人の幸福を左右する効力はない。パッケージだけ優れてる空の箱だ。

 基本的に僕は無趣味で物欲もなく、ただただ何もしない休日を過ごしている。何もしないくせに最近だと無駄に早起きをしてしまう。前までは夕方まで寝てしまい、起きて大きな後悔をすることもあったが今はそれはあまりない。昼前まで寝てたらだいぶ寝てる方だ。無駄に早起きしてもやることがない。やる気力もわかない。疲れてはいない。気力がわかない。

 前に映画をたくさん見たと言ったが、ここ何週間は見てない。見る気力がない。何もしたくない・・・というわけではないが、何かしたいとも思えない。

 何もしないと考え事をする。だが考えるほど何か悩みや問題があるわけでもない。考えることは平日のことだった。平日に休日のことばかり考えるのと同様で休日は平日のことばかりを考える。だから休日は辛い。

 おかしな話だが、休日のことを考えることを楽しみに生きていけてる平日よりも平日のことを考えてしまう休日の方が辛い。休日は本来、大きな意味での現実逃避などに時間を使うのが普通だが、僕は休日に平日以上に現実を見ている。なんだこれは。

 休日にルーティンなどない。だからブログも書けない。だからメタブログ的な文章で水増しをするしかない。これは、「人生を語れ」と言われ人生「とは」について語りだす中高年と同じだ。おそらく彼らは空の人生を送っているのだろう。