新社会人の真・ルーティン その1(会社編)

 社会人になって2ヶ月ほどが経ち、イレギュラーな研修も無事終え、部署に配属され、自分の仕事の方向性も定まった。僕の場合、研究職だから方向性なるものは「テーマ」として与えられるわけだが、それも部署配属から二週間〜三週間ほどで決まった。

 大学に通っていた頃にやらなかった実験の目白押しだったので、配属されてすぐの頃は指導担当の先輩の方に自分のスケジュールを伺い、とりあえず訳もわからないまま言われたことをメモにとり、メモに書かれた操作を行なっていた (僕がメモをしっかりとる日が来るなんて!)。

 今となってはある程度の操作を覚え、自分が何をすべきかが大雑把にわかってきて、自分である程度のスケジュールを組み、実験をするようになった。それでもわからないことが多く、指導担当の方にはしょっちゅう僕のために時間をとってもらっているのだが。

 ありがたいことに「器用」だとか「飲み込みが早い」という評価を頂く。大学時代とは真逆の評価だ (同じ研究室だった人は本当に驚くだろう)。

 僕は不器用だと思う。研究者として致命的と思われる本態性振戦を患っており、手が常に震える。面接では隠していた。言うと落ちると思ったからだ。なので、本当に社会人になるのが不安だった。だが入って見ると意外とどうにかなる。そこまで手先の器用さを要する実験が、少なくともうちの部署では、なかった。幸運だった。

 

 新社会人は人間関係に悩むとよく聞く。だが、その悩みもなかった。部署の方々は割とみんな静かだ。上司ともあまり話をしない、本当に挨拶ぐらいしかしない。プライヴェートの話など況やするわけもない。だが、僕の前のデスクに座る男性の先輩、おそらく60手前ぐらいなのだが、この方はよくしゃべる。

 仕事論やら何やらよくしゃべる。ここまで一方的にしゃべれるのだから何かしら本当に信念と情熱をもって仕事をしたり日常を送ってるというのがわかる。だが、怠惰なこのフレッシュマンがそこから汲み取ることは「人の話を一方的に聞けるのは10分までだな」ということだけだった、虚しく切ない。慣れないマスク越しの愛想笑い、感情の込もってない相槌をする、これが社会人か。

 仕事に対して情熱がまだない。僕の人生を振り返って見ると、多くの人間が経験するであろう「何かに情熱を燃やす」とか「何かに夢中になれる」という経験があまりに乏しかった。天性の飽き性と怠惰を併せ持つ僕は何に対しても気持ちが続かなかった。漫画ですら15巻以上続いてるようなものを集めたことがなかった。常にその場しのぎ的な楽しさだけで生きてきた。

 特に仕事は本当に生活を維持するものぐらいにしか思えなかった。頑張らなくても生活は困らないし、かと言って頑張っても生活は劇的な向上を見せない。今の生活で満足してるから程々にやればいいと思ってしまう。

 向上心が欠如したバカな僕に「仕事とは」と説いてくる。ありがた迷惑だ。彼にとって手応えはあるのだろうか。大体反応を見れば「こいつはダメだ」とならないのだろうか。

 昼休みも部署内は静かだ。小心者の新社会人は周りに倣って静かにする。だがそれは当然隙にもなる。

 特に何の要件もなくスマートフォンを弄っている僕は格好の的だ。やれ、どこどのラーメンは美味しいだの、やれ仕事はどうだの、やれ散歩コースはどうだの、やれ最近のニュースはどうだの。僕は「木村花」について全くと言っていいほど知識がない、若者代表の意見を求めないでくれ。

 最近は、昼休みに読書をしている。読書をしていると話しかけられない。顔料が練り込まれたゴミ袋のような効果を発揮してくれる。ゴミ袋を指定する意味はここにあったのだ。